太陽はいっぱい

発達障害児を見守る介助員のブログ

孤立した感受性

Rの学級担任は学級活動に熱心な先生だった。児童たちの自主性を育てる為に、彼らが主体の学級会の時間を多くとった。その学級会でRは発言しない。それには理由がある。子供議長がしっかり舵取りできない会議は紛糾する。議題は男子と女子に分かれて対決の構図になるのが主だが、Rのストレート過ぎる意見に対して学級の大多数が敵に回った、という出来事があったからだ。


笑顔は笑顔を招き怒りは怒りを誘う

熱意は熱さを高め冷たさは群れから遠ざかる


様々な同一感情は仲間を引き寄せるものだ。きっと訳も分からないままRは孤立してしまったのだろう。追い詰められればより興奮し自分を守ろうと必死になる。それは人間誰しも同じだけれど、特にRは周りとの折り合いがなかなかつけられずに喘いでいた。

ご家族のお気持

俺が通う地域ではという規則かもしれないけれど、小学校の場合通常介助員は5年生の3学期までと聞いている。俺がRについたのは6年生の2学期からだから、このケースは特別な部類に入るらしい。それだけ切迫した状態が続いていたのかもしれない。


突然立ち上がりダッシュ


落ち着きなく机をコンコン


カッとし紙をくしゃくしゃにしてポイ


普通に並びに割り込む…


それらは数年前から現れていたのだけれど、だからと言ってそれが直ぐにADHDや他の発達障害を疑う…ことにはつながらないと俺は思う。それが親の気持だと思うし、易々と認められはしないはずだ。Rの学級にもBという児童がいて、似通った問題行動を起こしていた。2人の違いと言えば、Rは病院で診断をもらいBは診察を受けることがなかっただけだ。

集団の中の個

集団化した時の子供たちの過剰な無邪気さを、皆さんはご存知だろうか?もしも学校内で先生方のカテゴリーと児童側とに分けるとするなら、介助員の立場にある俺は多少先生寄りであるけれど、大体その中間に位置すると思ってもらいたい。


こちらの都合よく全部を見せてくれるわけではないけれど、俺は姑息な大人の手段で子供たちを油断させた。本心を引き出すため当初はフレンドリーに徹し輪の中に入り息を潜めた。やがて俺も学級の情景にとけ込み存在感の薄い居場所を得ていた。


それはRと学級の児童たちの現状を知る為に必要な状況だった。学級での未成熟な社会性に隠れていた特別な個は、実際いつ頃から皆に気付かれ始めたのか…敢えてカミングアウトをする判断が正しい方向に進むことを願って、俺はRと向き合う為の情報を欲していた。